栗の甘露煮<マロングラッセ>

今の世の中は西洋にならって文章は横書きが主流に移りつつあり、今やこうしたウェブサイトのみならずケータイ小説なるものが登場して書物らにも横書きの物が登場してきたことは記憶に新しいことであります。
記憶に新しいといえば、最近「的を得る」を正式に正しい日本語として認めるという決議があったように、言葉は一つの時代を生きる「生物」であり、絶えず変化して流行り廃りがございます。今時のナウなヤング達はそういったはやり言葉には常にレーダーを張っており最先端を行こうとする。中にはそんなのいったいどこのだれが言い出したんだって言葉もありますね。
言葉は生息する地域によっても違います。国のみならずその国内の方言ですら違います。そういってあがりやすいのは東北弁、猛虎弁関西弁、九州弁という大まかなくくりでの方言でしょうか。
私の生まれも陸奥国仙台藩ですので言葉はやはり東北訛り、主に仙台、山形あたりの言葉を使うことが多い(らしい)のですがここ神奈川に移り住んでからは周りはほとんど所謂標準語、私もだんだんと訛りが抜けてきてしまったように思いちょっぴり寂しくも思います。
仙台弁の「ジャージ」を「ジャス」っていうの、一体誰が最初に言い出したんだべか。おはようございます、私です。

私は別に天皇様万歳な人でもないしましてや安倍はやめろな人でもないわけですがなんといいますか外来語というかカタカナ語、横文字の言葉が全体的に苦手なんです。あんまり横文字を使いたがらないのは実は同じものだとわかってないことが多数なのです。
たとえばティッシュ。私は今でも「ちり紙」と呼びます。実は違う物らしいのですが知ったこっちゃないです。
たとえば料理で。「マリネ」は「甘酢漬け」だし「サニーサイドアップ」なんて言われたらなんじゃいその料理は作ったこともないぜよと思うわけですよ。念のため言っときますけど目玉焼きくらいは作りますからね。
なんかこうしっくりとこないんですよね、カタカナ。職業柄ホイップとかボイルとかいう動詞をよく使うわけですがやっぱり一回「ボイルってなんやったっけ・・・」と考えてやっと「あ、茹でるか」となるわけです、二度手間。
別に西洋文化が嫌いというわけではないし西洋料理が嫌いなわけでもないのですがどうしてもこれが馴染めず。やっぱり日本人として縦書きの日本語と暮らしていくのが私の平穏な生きる道なのだとしみじみ思うのでした。ワインとか飲めないし。






正直な気持ちを今ここに書きますと

あの時の超真祖の記事を書いた時が私のブログへのモチベーションの絶頂期であったのだと思います。

あの記事はほんとに書いてる時テンション高かった。いやそりゃあんな長ったらしい文だし気合の入れようだったし私の中で彼女がどんな存在かはわかってくれたと思います。

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実はこんな子を引いてました、なんてことも全く記事にしてないし。
穿矢1閃矢4かあとも思ったけど結構ドット絵がハデハデで勿体ない気もする。保留。君そんなこと言って水着かやちゃんもいまだに合成してへんよな。

とはいえさすがに真祖ちゃんだけを育てるわけにもいかないというかまずそれに必ずついてきてるアイツが同時に育っているということでありまして。

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コイツです。

あの時の閃矢が上がらない病はなんだったんだって感じに閃矢5→6の4割を1発ヒット。やっぱ乱数偏り過ぎちゃうかこのゲーム。





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関ヶ原。
時は西暦1600年10月21日。
東軍率いる徳川家康が豊臣家の家臣石田三成らを筆頭とする西軍とが激突し、そして僅か1日にして天下が覆った戦であります。
この戦の詳細やその戦以降天下がどう動いたかは別に説明してもいいんですけどたぶんみんな「もうお前の戦国知識はどうでもええねん」と思っていることでありましょうことでね、ここは1人だけに絞って書きましょうかね(書かないわけではない)。
えー、では関ヶ原で参戦した武将で有名な人と言えば東軍の首領格徳川家康腰巾着黒田長政、西では石田三成毛利輝元、参戦はしてないけど開戦のきっかけを作った上杉景勝、そして関ヶ原を決定づけたとして何かとタイアップされることの多い小早川秀秋。彼の裏切りにより西軍は混乱、壊滅、敗走したのです。
さて、関ヶ原は西の敗北ということで各軍敗走を始めるわけですがここで出てくるのが島津義弘。彼は西軍として参戦していたものの石田三成から寡兵を率いるご老体(3000人規模で本人当時65歳だったと言われる)と馬鹿にされたことに激怒して梃子でも動かんと戦のど真ん中で傍観。そんなところに西軍敗走、辺り一面は東軍に囲まれ退路も完全に塞がってしまったのであります。
そこでこのおじいちゃんは正面突破を図ります。まず前衛部隊であった福島正則に突撃。混乱した部隊を突破し続く小早川、松平、本田、井伊ら4隊を正面突破で切り崩しもはや残る隊は徳川家康その本隊のその眼前と迫ったところで転身、そのまま伊勢街道への撤退を開始。所謂トカゲの尻尾切りのような戦法を取り大阪から回路を使い本拠地の鹿児島への撤退に成功。本隊はわずかに100人弱にまで減ったといいます。
この後の戦後処理でもこのおじいちゃん九州の諸大名から包囲されながらも「本領の安堵がないなら絶許」と上洛の交渉を拒否。最終的には本領である薩摩を守り切ることに成功したのであります。

うーん、長い。やっぱり書きたいものは長くなるね。何の話だっけ。かくりよの門か。かくりよの門のブログだもんなこれ。そうだったかくりよの門のブログなんだったわ。

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この戦が数百年前の出来事(校長談)ということはかくりよの門の話は18世紀あたりの話になるんかな。そのあたりだと将軍は6~10代くらいだから徳川吉宗あたりの時代なんすね。
この時代にこんな宗教に熱心な人がいたかはどうかは別としてこういった時代背景からこの人たちがどんな生活をしているのかなんかを想像するのもこのゲームの楽しみの1つ。
世界に目を向ければフランス革命なんかがあった時代ですがとこよちゃんは何を考え何を食っているんだろうか。

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明の刻は報告するだけでおしまい。

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午後のお仕事。ここからはかくりよの門が開いているということでボス戦もあります。

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江戸も中期に入り槍や刀が戦いに使われることがめっきり減ったこの時代。
蓑傘の侍も平穏と安寧を求めているようです。ツッコんで欲しいんやろけど、吉良吉影やな。

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そんなあやかしが居ても笑顔で応対する茶店のオバちゃん。いつの時代も女性の精神力は強いもんだ。
だんだんと暗くなっていく道が非常に雰囲気がよろしい。序盤の佐倉村みたいなのんびりしたところを走り回ってた頃が懐かしいね。

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そんなこんなで待ち受けていたのはもちろんこの人。
彼女は何を知り失踪し何を考えこの地で待ち何を想い話すのか。

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それはこのあやかしを倒した後に

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今、彼女の口から語られるのでしょう。

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